世界最速を目指して開発されたカミナリマッパ(カワサキ・500SS MACHIII)
サイドからの安定の1枚????
— BLKFOX GENKI (@BLKFOX737) October 24, 2021
500SS カミナリマッパ pic.twitter.com/7aQ92eHWPT
世界最速を狙って開発し、1968年に市場投入されたのが、カワサキ・500SS MACHIII(通称:カミナリマッパ)です。
カミナリマッパが販売される1960年代は、世界最速のバイクはイギリス製でしたが、そんなイギリスの世界最速の座を奪うべく、当時としては個性的なエンジンを搭載して世に送り出されました。
世界初の2スト3気筒エンジンを搭載
カミナリマッパ(カワサキ・500SS MACHIII)は、発売当時に世界初となる「2スト3気筒エンジン」を搭載しています。
最高出力は60PSを発生、2スト250ccクラスのNSR250RやTZR250Rの最高出力が45PSにも関わらず、かなりの加速性能を持っていることからも、カミナリマッパが圧倒的なパフォーマンスを持っていることが分かるでしょう。
ひとたびアクセルを開けると、体が後方に置いていかれるような、強烈な加速性能を発揮します。
当時としては驚きの記録
カミナリマッパは、発売当時としては驚異的な最高速度200Km/hを達成し、ゼロヨンタイムが12.4秒を叩き出し、世界を驚かせました。
これらの記録に対抗できるバイクは世界のどこにもなく、カワサキの名を一躍世界に知らせるきっかけにもなったのです。
マッハの車種名の意味
カワサキでマッハの名称が付けられていたのは、2ストローク3気筒エンジンを搭載したバイクです。
また、車種名は排気量+SS マッハになっていますが、SSは日本国内向けモデルという意味で、海外向けモデルには付けられていません。
マッハⅠやマッハⅡも存在する
1969年に発売された500SS MACHIIIの北米販売での成功をきっかけに、72年には250ccから750ccまでの4車種が新たに販売されました。
500SS MACHIIIと750ccモデルをビッグマッハ、250ccから400ccまでのモデルはミドルマッハと呼ばれ、250ccモデルがマッハⅠ、350ccモデルはマッハⅡとなっています。
750ccモデル(750SS MACHIII)はマッハⅣとなりマッハシリーズを形成し、1976年に名称が排気量+SSからKH(通称:ケッチ)に変更されました。
カワサキ・500SS MACHIIIの歴史
9月10月11月12月1月入院
— KEISHI (@keishi_0425) June 18, 2020
5月6月入院
1969年のバイク
50歳のバイクはこんなもんか
はやく乗りたい#500ss #mach #カミナリマッパ pic.twitter.com/s4yVVMhFXg
当時の世界最速を目指して制作された、カワサキ・500SS MACHIIIの歴史について解説していきます。
過激なパワーゆえ「3速までウイリーしっぱなし」「じゃじゃ馬」など言わた500SS MACHIIIの開発が始まったのは、1967年のことでした。
開発が始まったのは1967年
カワサキ・500SS MACHIIIの開発が行われる際、当時販売の視野に入れていたアメリカにおいて、徹底的に現地ライダーの調査を行いました。
その結果、アメリカでより多く求められているバイクは「世界一速くて加速性能のよいバイク」ということが分かり、ニーズに応えるべく500SS MACHIIIの開発に入ります。
開発にあたって、最高速度190Km/h以上、最高出力50PS以上でリッターあたり120PSを発生することが課題でした。
500SS MACHIIIの誕生
当時のレース用L型3気筒エンジンや、並列3気筒エンジンで様々な仕様の試作を重ねた結果、並列3気筒の方が優れているという結果となり、ベースとなるエンジンは並列3気筒に決まりました。
マフラーの本数も気筒数と同じ3本や、左右のバランスを考えて左右2本出しの4本マフラーでそれぞれ試作を繰り返すなど、性能を犠牲にしてまでコストダウンをしないという、妥協なき開発を進めていったのです。
こうして500SS MACHIIIが誕生し、まずは1968年に北米での販売、翌69年に日本国内での販売となり、世界最高速度の樹立やゼロヨンでの圧倒的なパフォーマンスを示しました。
カミナリマッパと呼ばれている由来
カミナリマッパ欲しい♪
— さくたろ@未来王 (@miraigekilove0) May 3, 2020
曲がらない、まっすぐ走らない、止まらない。とか最高のじゃじゃ馬や。 pic.twitter.com/gUImXYmrSk
500SS MACHIIIは「カミナリマッパ」という別称もありますが、雷のように轟音を出しながら素早く走るマッハという所から名付けられました。
ほかにも、ガソリンタンクがえぐれていることから「エグリマッパ」の愛称もありますが、さらに500SS MACHIIIには様々な愛称があります。
カミナリマッパ以外の通称
500SS MACHIIIの車名からそのまま「マッハ・スリー」と呼ばれるのが一般的でしたが、カミナリマッパ以外では「クレイジー・マッハ」の呼び名もあります。
中には、強烈な加速に見合わないブレーキ性能や、パワーにフレーム剛性がついていけず、曲がらない特性を揶揄(やゆ)し、「走る棺桶」と呼ぶ人たちもいました。
漫画「特攻の拓」の鰐淵清美の愛車もカミナリマッパ
#買い逃さず買ったバイクシリーズ
— ざわざわ (@Zawa_Zawa_O819_) December 21, 2023
マッハⅢ 500ss H1 初期型
通称カミナリマッパ⚡
特攻の拓の来栖君のマッハに憧れて、「ペンゾイルだよ?カストロじゃねー…」でオイルもゾイル入れてます!
カラーはカナリアイエローにしたいけど、ノーマルです(笑) pic.twitter.com/9OaibBk3pN
暴走族を描いた人気漫画「疾風伝説 特攻の拓(かぜでんせつ・ぶっこみのたく)」でもカミナリマッパが登場し、2人の登場人物の愛車となっています。
特攻の拓を読んでバイクに関心を持ち始めたり、実際にバイクに乗ったり、バイクの知識が詳しくなったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
特攻の拓とは?
「疾風伝説 特攻の拓」は週刊少年マガジンにて、1991年から97年まで連載された、暴走族をテーマにした漫画です。
典型的ないじめられっ子だった浅川拓が、転校生でつっぱりの鳴神秀人の強さに憧れ、「強くなりたい」という思いを持つようになりましたが、やがて内部抗争の絶えない通称「乱校」と呼ばれる県立聖蘭高校に転校します。
乱校では、同じクラスメンバーで構成される横浜の暴走族「爆音小僧」のメンバーとなり、愛車として選んだFZR250とともに、暴走族の一員として活動していくことになりますが・・。
鰐淵清美の人物像
特攻の拓でカミナリマッパに乗るのが、拓が転校した県立聖蘭高校で保険医の「鰐淵清美」です。
現役時代は赤色のマッハに乗り、誰も追いつけなかった伝説を作ったことから、「赤マッパの清美」として名を馳せました。
鰐淵清美の弟が、構成人数1,000人を超える神奈川最大の暴走族「夜叉神」に属している鰐淵春樹で、元彼が爆音小僧の真嶋夏生です。
来栖奈緒巳もカミナリマッパ
初代「極悪蝶」のリーダーで「蝿王(ヴェルゼブブ)」を立ち上げる来栖奈緒巳も、カナリアイエローのカミナリマッパに乗っています。
過去に受けたトラウマにより自分の愛車以外は信用できず、暴力沙汰により何度も鑑別所に入所していましたが、そんな荒れた来栖奈緒巳を救ったのが、浅川拓でした。
少女のような顔立ちをしている来栖奈緒巳ですが、性格は極めて凶暴で、腕っぷしも強く湘南では凶悪小僧として恐れられています。
お笑い芸人ハライチの岩井勇気さんの愛車もカミナリマッパ
#ぽかぽか 始まるぜ!フジテレビ来いよ。 pic.twitter.com/B1N922p4gh
— 岩井勇気 ハライチ (@iwaiyu_ki) October 24, 2023
特攻の拓に登場するだけでなく、お笑い芸人コンビ「ハライチ」の岩井勇気さんが所有する愛車も白いカミナリマッパ(500SS MACHIII)です。
岩井勇気さんはバイクだけでなく、以前もトヨタ・セルシオを所有しており、猫が下に入りこまないようシャコタンにしていたという話から、「世界一やさしいシャコタン」とも言われていました。
ハライチの岩井勇気さんとは?
ワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ、ハライチの岩井勇気(いわい・ゆうき)さんは、1986年生まれの埼玉県出身で、ハライチではネタ作りとボケを担当しています。
お笑いのみならず司会者や俳優、エッセイストなど幅広く活動しており、趣味はアニメや邦楽のライブ鑑賞、麻雀などです。
テレビの企画で2度ほど丸坊主にされましたが、30代になってからは黒髪の七三分けで、2023年11月13日に女優の奥森皐月さんと結婚しました。
カワサキ・500SS MACHIIIのモデル一覧
今日は午後からカミナリマッパでツーリング????
— マルちゃん (@malchan369) May 22, 2022
昔から持ってるけど、これ今400万から500万もするんだと(^◇^;)
俺が買った時40万だったのにw pic.twitter.com/HLeFDGh3IC
1968年に、日本より先行して北米での販売が開始されたカワサキ・500SS MACHIII(海外モデルは500 MACHIII)ですが、翌69年より日本でも販売が開始。
1969年モデルは型式から「H1」とも呼ばれ、後にKHに名称が変更されるまで、毎年のように仕様変更やデザイン変更がなされました。
H1(1969年モデル)
1969年発売のH1は、2ストローク3気筒エンジンによる強烈な加速で、ゼロヨンタイム12.8秒と驚異的なタイムを叩き出して世界の注目を集めた、記念すべき初代MACHIIIです。
アメリカ市場でバイクへのニーズを徹底調査し、開発した経緯もあり、1968年にまずは北米で発売され、日本国内モデルは翌69年より販売されました。
開発の目標としていた時速190Km以上を叩き出し、当時世界最速のバイクがイギリス製でしたが、その座を見事に奪い、カワサキの名を世界に知らしめることに成功したモデルでもあります。
- 発売年月日(国内モデル):1969年9月
- エンジン型式:空冷2サイクル3気筒
- 排気量:499cc
- 最高出力:60PS
- 最大トルク:5.85kg-m
- 乾燥重量:174Kg
- 新車販売価格:298,000円(当時は消費税なし)
H1A(1970年・71年モデル)
1970年モデルでは、雨天時に起こるリーク(漏電、流れるべき場所でない所に電気が流れること)の防止対策が施され、カラーバリエーションも増えました。
71年モデルでは、ガソリンタンクの深くえぐられた部分がなくなり、流線型に近い形状へと変更。
カミナリマッパの他にもガソリンタンクのエグリから、エグリマッパとも呼ばれますが、エグリのある71年よりも前のモデルを指して呼びます。
H1B(1972年モデル)
1972年モデルではブレーキとフロントフォークの大幅変更が行われ、これまでの前後ドラムブレーキから、フロントに750SSと同じディスクブレーキが採用されました。
ブレーキ同様に、フロントフォークも750SSと同じ直径36mmのアルミのアウターチェーブが装着され、「止まらない」と言われたブレーキの性能向上が図られたモデルです。
H1D(1973年モデル)
フレームの見直しが図られ、操縦の安定性が向上したのが1973年モデルです。
新設計のフレームが採用されたことにより、ホイールベースが10mm延長、走行の安定性が高まりました。
給排気系の変更によって、これまでの最高出力60PSから59PSになり、同時にガソリンタンクやシート形状のデザイン変更も行われています。
H1E(1974年モデル)
1974年モデルでは、フレームの各部の寸法や角度などジオメトリーを見直し、安定したハンドリングになっています。
点火方式も新たに見直されてアップデートし、フレームの見直しと相まって、じゃじゃ馬な特性からややマイルドな乗り味へとなりました。
H1F(1975年モデル)
1969年の発売以降、車種名についていた「MACHIII」が消え、500SSの最終モデルとなったのが1975年モデルです。
75年モデルの特徴でもあるボードストライプのデザインや、ブレーキマスターシリンダータンクが半透明のものに変更されました。
KH500 (A8)
500SSのあとを引き継ぐモデルとして、1975年に登場したのがKH500(A8)です。
エンジンは500SSと同じ2スト直列3気筒でしたが、500SSの最終モデルの最高出力59PSから53PSへ、最大トルクが5.85kg-mから5.4kg-mへダウンとなり、扱いやすくなりました。
エンジンパワーがダウンしてはいますが、フル加速をしたらフロントが伸びるような強烈な加速は健在です。
- 発売年月日:1975年
- エンジン型式:空冷2スト直列3気筒
- 排気量:499cc
- 最高出力:53PS
- 最大トルク:5.4kg-m
- 新車販売価格:375,000 円(販売当時は消費税なし)
まとめ
4. KAWASAKI 500SS MachⅢ
— KOBA@カウルマン (@Koba_Cowlman) February 15, 2023
カミナリマッパ、乗り手はまさに猛獣使いと言われたそうな
自分の乗ってる車種は素直なコが多いからいっぺん本物のジャジャ馬ってのに乗ってみたい pic.twitter.com/e67znkbvP6
バイクの「カミナリマッパ」について、どんなバイクなのか特徴と、誕生した背景や歴代モデルについて解説してきました。
お笑い芸人の岩井勇気さんの愛車としても知られ、ほかにも人気漫画「特攻の拓」でも、鰐淵清美や、来栖奈緒巳の愛車としても登場しています。
販売当時は世界最高速度を叩き出すバイクとして世界的に知られ、現在ではもう新車販売がされない貴重な2ストモデルとして、未だに熱いファンも多いバイクです。
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